辞書の話

「マンガ 船を編む」を読んだ。劇中のせりふで、 「辞書編纂は、莫大な資金と膨大な時間を費やすもので、外国では国家の威信で作られることが多い。だが、我が国では、国家主導の国語辞書は皆無だ。」 たいへん不思議な話だと思う。なぜ我が国では、作られなかったのだろうか?国語辞書という概念がもしかするとなかったのかもしれない。言葉の教養というものは、知っていて当然というスタンスなのかもしれない。


自国の言葉で読める書物が多いのは、国際的に大変幸せである。現代では、国際的に力がない国は、本そのものが自国語では刊行されない、ほぼ英語で読むしか方法がない。一方、我が国では、かなりマイナーな、海外の情報ですら日本語で読むことが可能だ。

自国語で読める本があるということは、それだけで、文化的な国力を簡単に示す道なのであり。その点で、国威でもって辞書を編纂する国が多いのもうなずける話しだし、マニア気質な国民が多い、日本が例外であったということは、この国にとって極めて特徴的な事例なのかもしれない。

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